信楽順三の信念
あちこちでネタになっているが、一度聴くと頭から離れなくなってしまう曲をご紹介。
1967年発売の「ラリラリ東京」
(作詞、曲 :信楽順 歌:三浦正弘とアロハ・ブラザーズ)
自ら500曲ほど書いたなかでヒットしたのは狩人の「アメリカ橋」の1曲だけと豪語する”アメ順”こと”信楽順三”(しがらきじゅんぞう)
まず1967年に発売の「ラリラリ東京」
いきなりバッハの「トッカータとフーガ」ではじまり、お経っぽい「ラリラリ・・・」とアラビア風なイントロ、エンディングには「結婚行進曲」まで何故かサービス。
歌った”アロハ・ブラザーズ”とは後に”三浦弘とハニーシックス”として「よせばいいのに」などのヒット曲を持つ兄弟グループである。
でも何故ゆえ「ラリラリ・・・」 だったのか?民放連の要注意歌謡に指定され放送禁止になってしまう。
懲りずに69年12月に「イライラ東京」としてリメイク。
ペダル・スチールをメインに”マヒナ・スターズ!”風な出来。この時は長女を加えた”三浦正弘とハニー・ブラザーズ”であった。
「なのよ~ん!」「アーン」はどうも必須のようで”アメ順”のこだわりが感じられる。
と、同時期にまだコミックバンドだった”殿さまキングス”が「メロメロしっちゃかめっちゃか東京」とソノシート化している。1、2番は”メロメロ”と真面目に歌ったかと思いきや3番に”しっちゃかめっちゃか”と落とすとお笑いバンドならではの味付。73年「なみだの操」の大ヒットで演歌グループに転身、5年後の78年「メロメロ東京」として再リリース、オーソドックスに歌い上げる。
そうそう、最初から「メロメロ東京」と歌っていればムード歌謡ブームに便乗できたかもしれないが”アメ順”の王道は違う方向なようである。
「タリラリラン・ブルース」や”♪生活が苦しい~!!隣のふとっちょが暑苦しい”の「生活のブルース」とどめは”♪ピンクの~あ~ カアテン~あ~”世界初の人間アナログのサンプラー入りと自ら誇る「ミミの甘い生活」など、日の目みない珍曲がまだまだ埋もれている。
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